国や地方自治体が行った行政処分が気に食わないので「訴えよう!」と思っても、そもそも原告適格が無い人は訴えられません。
原告適格とは、行政事件訴訟で、原告として裁判所に訴えることができる資格のことです。
じゃあ、どんな人が「原告適格有り」ってなるんでしょうか?
もんじゅ訴訟で「法律上の利益を有する者」の範囲が拡大
行政事件訴訟法9条では、原告適格を「法律上の利益を有する者」と定めています。
「法律上の利益」について、最高裁は「処分の根拠である法律で保護された利益を持っている人じゃないと、原告適格はないよ」と狭く解釈していました。
最高裁判例に対して学説は「それじゃあ、国や地方公共団体から不利益を受けた人は全然救済されないだろ!」と猛反発!
そんな批判を背景にして、最高裁はちょっとだけ救済の幅を広げました。それが平成4年9月22日判決です。(全文はこちら)
当該行政法規が、不特定多数者の具体的利益をそれが帰属する個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むか否かは、当該行政法規の趣旨・目的、当該行政法規が当該処分を通して保護しようとしている利益の内容・性質等を考慮して判断すべきである。
「条文をただ文言解釈するだけじゃなく、その条文が定められた理由や、誰を守ろうとしているのかなども考えようね」ってこと!
この判例は、有名な「もんじゅ訴訟」の1回目の上告審での判決です。
もんじゅは、福井県敦賀市にある高速増殖炉。もんじゅ訴訟では、敦賀市の住民が内閣総理大臣の行った原子炉設置許可処分の無効確認を求めたんですね。
しかし、下級審では、もんじゅから離れた場所(半径20キロメートル以上)に住む人たちの原告適格を否定。「原告適格無し!」と言われた人たちはブチキレて上告。最高裁から「原告適格有り」のお墨付きをもらいました。
全く役に立たないまま廃炉となった“貧乏神”のもんじゅ
もんじゅ訴訟では、原告適格を認められたからといって原告勝訴になったわけじゃありません。結局、原告は2回目の上告審で敗訴しちゃいました。
一方、平成3年に稼働したもんじゅは、訴訟が続く中、平成7年にナトリウムをダダ洩れさせて火災事故発生。
点検や調整に10年かけて平成22年に運転再開!と思いきや、その年に原子炉内中継装置が落下する事故が起こり……。
「呪われてるんじゃないの?」ってくらい事故続きのもんじゅは、何の役にも立たないくせに年間200億円もの維持費!
”夢の原子炉”どころか“貧乏神”でしかないもんじゅに見切りをつけた政府は、平成28年12月、ようやく廃炉を決定しました。
「もんじゅを巡るゴタゴタはいったい何だったんだよ?」ってくらい空しい展開ですが、これが日本社会の本当の姿なのでしょう。
高速増殖炉は、高速中性子を利用して核燃料を使った以上に増やせる原子炉のことだ。わかりやすい例でいえば、300円の宝くじを買ったら3000円が当たったみたいな感じかな?
高速増殖炉が安全に稼働すれば、他の原発から出る使用済み核燃料をリサイクルすること、すなわち「核燃料サイクル」が実現するはずだった。そうなると、ウランなどを海外から輸入する必要もなくなって、国内だけで燃料を循環させられるから、資源の少ない日本にとっては「夢の原子炉」だったわけだ。
行政事件訴訟法改正で原告適格を拡大する項を追加
何から何までが失敗だったもんじゅ。そこに費やされたお金と時間と労力は悉く報われませんでした。
「こんなバカバカしいことがあっていいのか?」と怒りを感じますが、そんなもんじゅが唯一残した功績が、行政事件訴訟法の原告適格の拡大だったんですね。
最高裁判例をふまえて、平成16年の行政事件訴訟法改正では、9条に2項が追加されました。2項には、最高裁が言っていたことをさらに拡大した内容が盛り込まれています。
もっとも、原告適格が拡大したからといって、裁判所が行政処分をバシバシ取り消したりするわけじゃありません。以下の記事で紹介した判決のように、冷たい態度が多いのは今も同じです。
だから、「本当に原告適格が拡大したのか?救済の範囲が広がってないだろ?」という批判が根強いんですね。
問題が起こってから国によって法制度が整備されるまで
日本では、社会問題が裁判をきっかけとして国民に広く認知され、その後国によって法制度が整備されるという流れが一般的です。これは、問題が起こってから、国家単位で被害者救済や再発防止が徹底されるまでに数十年かかることを意味します。
日本で行われる法律の制定や改正は、累々と積み重なった屍の上に立てられた“勝利の旗”のようなものです。
法律の歴史に目を向けると、法律の趣旨や目的に対する理解が深まるとともに、勉強がおもしろくなるんじゃないでしょうか?